日本では「ワイシャツ」とか「カッターシャツ」と2つの名前を使用します。
海外から来た人はおやっと不思議に思うことですが多いといいます。
現在ではこのワイシャツとカッターシャツとは名前が違うだけでどちらも同じです。
ではなぜワイシャツとカッターシャツの2種類の名前があるのでしょうか。
そのワイシャツとカッターシャツの違いや由来を簡単に紹介します。
「ワイシャツ」と「カッターシャツ」とは元々別の物だった
「ワイシャツ」と「カッターシャツ」2つの名前がありますが、現在では全く同じスーツの下に着る襟付きのシャツのことを言います。
実は、元々「ワイシャツ」と「カッターシャツ」は全く別な用途に着るシャツだったのです。
日本で最初に誕生したのは「ワイシャツ」となり、元々襟付きのシャツはヨーロッパで生まれ、明治時代に日本に伝わって来ました。
そしてこの襟付きのワイシャツを初めて販売したのは当時横浜の輸入雑貨店「石川清右衛門」という人物でした。
ワイシャツという名前になった由来とは、清右衛門の勘違いから・・・
実は、「石川清右衛門」が襟付きのワイシャツを外国人から受け取った時にある大きな勘違いによって「ワイシャツ」という名前になってしまったといいます。
明治時代初期の頃、貿易が盛んに行なわれていた横浜の石川清右衛門の店で、外国人男性からスーツなどの洋服や食器などを輸入していました。
その時に、石川清右衛門の目に留まったものが白い襟付きのシャツでした。
上着(スーツ)の下に着る洋服ということで、その店に来た外国人にシャツの名前を聞いたところ『ホワイトシャツ!』と言われたのです。
しかし、石川清右衛門が『ホワイトシャツ』を【ワイシャツ】と聞き間違った事から、そのシャツの名前が生まれたといわれています。
その後「大和屋シャツ店」という店を開きワイシャツを販売、現在も銀座でお店の営業を続けているとのことです。
カッターシャツの名前はミズノが考えた名前?ワイシャツとの違いとは
では、カッターシャツはどのような由来で誕生したのでしょうか。
そのカッターシャツは今から100年前1918年の大正時代、生みの親でスポーツ用品店メーカー「ミズノ」の創業者「水野利八」であった。
ではなぜ水野利八がカッターシャツを発売するようになったかというと、実は発売当初このカッターシャツは運動着だったのです。
水野利八が美津濃商店運動服装部のお店で、スポーツ用品の中でも主に野球用品・陸上用品を取り扱っていた。
たまたま店の中で新聞を読んでいたらあるスポーツの記事の中に目が留まり衝撃を受けました。
それは、当時ヨーロッパで人気だったテニスの写真で、選手の服装がなんと襟の付いた白シャツを着ていたのです。
テニスやゴルフなどヨーロッパ発祥の紳士のスポーツは襟付きの白いシャツでプレーするのがマナーだったのです。
しかし、当時日本でスポーツをする格好と言えば襟なしのラフな格好が一般的であり、
まるで白い肌着を着てスポーツをしているかのようであった。
「これが世界基準のスポーツウェアか?日本も遅れをとってはいけない!」
と思った水野利八は白い襟付きシャツを新商品として売り出すことを決意。
だがしっくりくる商品名が思いつかず、
趣味の野球観戦をしていたところある光景が目に飛び込んできました。
それは、同じ観客が『勝った勝った!・・・・』と喜ぶ声を聴いて、
「勝ったーシャツ」はどうだろうと名前がひらめいたのです。
この名前ならスポーツ用品に縁起も良く「これは売れる」
ということで、カッターシャツは
「勝ったー!」というダジャレから生まれた商品名で日本中で大ヒットしました。
目的の違いで「ワイシャツ」「カッターシャツ」がなぜ現在は同じ物をさすのか
もともとワイシャツはフォーマルで高価なものだったので一般の人にはあまり普及しませんでした。
そこで、スポーツ用のカッターシャツをワイシャツ代わりに着る人が多くなり、その結果「ワイシャツ」と「カッターシャツ」の用途が曖昧になり、現在では同じ物をさす名前になったのです。
このように「ワイシャツ」は、ホワイトシャツの聞き間違い、
「カッターシャツ」は、勝ったー!と縁起を担いだダジャレから生まれた名前ということでした。
本当に単純な発想から付いた名前でしたが、昔の人は生活の中のヒントから名前を付けるのにとても苦労していた様子が伺えます。
これがわかっていれば、日本人も外国人や知らない人に説明が出来ますよね。
少しでもお役に立てれば幸いです。