小学校のクラスメイトの個性よりその母親のことが記憶に残っている!?
日本では毎年春になると入学式がありますが、小学校の入学式に出席する母親はどんな服装で行こうかと戸惑います。
小学生の子を持つ母親にとって、小学校の入学式は父兄同士視線の先を見ていてもものすごい競争があって大変なようです。
そんな環境の中、この春も危険がいっぱいに・・・。
日本・中国・アメリカの過去の服装と印象の研究によると、子供は小学校3年生くらいまでは「小学校の時あの子どんな子供だった?」
- 「あの子小学校の頃からこんな裏がある・・・」
- 「あの子供はこんな性格だった?」
とか、実は大人になった時にはクラスメイトの事を何も覚えていない事がわかったのです。
では、大人になって小学校の何を覚えているかというと
- 「あの子の母親はこういう風に優しかった!!」
- 「あいつの母親はとっても面白かった!!」
- 「あの子の母親はいつもきれいな格好していた」
とか、
その子供のパーソナリティーよりも何倍も小学校クラスメイトの母親のパーソナリティーを覚えているものなのです。
最近、小学校でも子供がいじめられないようにする為に、服装もなるべく目立たないようにグレー色や黒色の洋服を着る母親が多くなりました。
このように小学校の入学式から目立たない地味な服装をするという謙虚さが、悪く言えばおどおどしている事により、返って自分の子供もオドオドした性格になってしまいます。
もし小学校でいじめられても「なにくそ!」と言い返せないパーソナリティーに育ってしまうというのが今問題になっています。
母親の服装で子供の性格まで変わってしまう!?
子供が母親に対して着て欲しい服装として、洋服の色もピンクやベージュなど派手な色や明るい色のレースの服を来ている母親の方が、真っ黒い服を着ている母親よりは小学校では子供がいじられやすく話題になりやすいといいます。
しかし、小学校に入学する前に子供に教えることで大事な事は、いじられないように生きていけということではないのです。
人生の中でいじられたりいじめられたりしない人生など無く、
- 何とか控えめに
- いじめられないように
- 目立たないように
生きていけ!というわけではない!
小学校に通う子供の母親が、好きな格好や服装をして堂々としていていれば良く、友達にいじられても心の中で「なにくそ!お前こそなんだ!」等と言い返せる子供に育てなければなりません。
そのような反発心を育てるというのが本来の目的で、最近ではその点を履き違えている母親が多くなってきています。
小学校に通っていた頃、母親が派手な服装を常に着ていた子供さんは、周囲のクラスメイトから「入学式の頃からいつもお前の母親は派手だ!」「100m先から来てもすぐ分かる!」と、いじられていたっていう方が後々記憶に残りやすいのです。
心理的には、子供が小学校でいじられることがショックで母親が悩んで病院等に相談する人がいますが、世の中にはどうしてもひがむ人とひがまれる人の2つに分かれるのです。その上、どっちかの人生を選択したければいけないわけです。
例えば、
- あなたはひがむ人生を生きますか?
- それともひがまれる人生を生きますか?
と聞かれた時、あなたはどっちの人生が辛いと思いますか。
ひがむ人生かそれともひがまれる人生かと聞かれた時、お互い一緒だと思いがちですが、母親が他の人と違う服装をしてそれが綺麗だったりし過ぎても、心理的にひがまれる側の人生の方がひがむ人生よりもずっと楽で良かったという人生になるのです。
実際、小学校の授業参観が終わった後など、子供たちは目立ったお母さんの話題で持ちきりになっています。
よく共働きの両親を持った家庭では母親が来れず、小学校の授業参観には「ウチだけおばあちゃんで・・・」と、他人の母親を僻んだり羨ましく思っていた方も多いでしょう。小学校の頃すごく嫌だった!恥ずかしかった!という苦い記憶が残っている方もいます。
でもその時に周りからいじられても「おばあちゃんだから何か?」と言えるような子供になるのが理想的。
しかしほとんどの方は、おばあちゃんが控え目に「ごめんね!おばあちゃんで・・・」と言われていると、子供はそれが伝わり大人になってからもおばあちゃんだからというその控えめさが連破し、今でも嫌な記憶しか残らなくなるのです。
逆に「おばあちゃんが行く分、お前は母ちゃんが2人行くようなもんだから最強なんだぞ!」と小学校の時代から言われていれば、人生も変わって来ているはずです。
結果的に
「記憶に残るという意味」では、堂々と派手な格好や服装をして
小学校の入学式やその後続く授業参観に来る母親の方が、
将来子供にとっては性格が変わらず良いようです。