学校での教育、長時間学習すれば学力アップする!?
学校の部活など放課後に活動するものだと思っていたら、いつの間にか朝練をする学校が増えてきた事は皆さまもご存知かと思います。
しかし学校での学習も今や、マイナス1時間目➡0時間目➡1時間目➡6時間目➡7時間目という時間割で1日9時間~10時間授業する学校が出現してきています。朝早くから長時間学習すれば学力がアップすると思って教育している学校が多いのです。
それも進学率のトップの学校ではない。学生は自分で学習するから放っておいても構わないのだ。
今、睡眠負債と言う言葉が流行っているが、朝早くの学習によりストレスが溜まり、やる気も無くなる学生が増えているというもの。これは、元々塾や予備校のない田舎の地方で善意で開始され、この教育方針がいつしか強制的に参加させる学校もあるが、何の根拠もないのです。
東京大学大学院で調査研究した段階では、男子高生で8.5時間女子高生で7,7時間睡眠を摂るのがベストと言われ、心の安定が得られるということがわかっています。しかしこれよりも少なくなってくると睡眠負債になり、不登校や自殺、学力の低下にまで繋がる可能性が出てくるのです。
漠然とした教育方針は逆にリスクが高い!?
子供に、何でもいいから自由にやりなさい!伸び伸びと生きて欲しい!という親御さんがいるが、そういう教育は精神疾患率が高いことがある。「自由に・・・」という言葉はとてつもなく大きな夢や大きな目標をもつ事となります。
「何でもいいから自由にやりなさい」という目標は、子供にとって目印が無い海原を泳ぐようなもので、漠然とした教育指導ではストレスになってしまいがち。「どうしたらいいんだろう?」と悩んでしまいます。この教育方針は、自由にさせておいて逆に残虐な教育放棄になります。
返って親御さんが口やかましく「あの旗迄・・・」という目標を立ててやる教育の方が、明確で子供の心も明るくなるのです。思春期までは不自由な環境で生活している子供でも、どんな海を渡りたいか?とか自由になりたいと自ら思うようになります。自由に生きて欲しいという漠然とした教育方針は良くないのです。
日本の道徳教育はおかしい!?「徳」は教わらない・・・
日本人は道徳心をすごく大事にしている国です。よく調べてみるとアメリカの教育では、道徳の「道」「徳」を分けて教育されています。しかし、日本の教育は道徳の「道」だけで「徳」は教わっていない。
道徳の「道」とは➡ 上を敬う・筋を通す・順番を守る・道に則るといったカッコよく素敵な道ですよと日本では教育されてきています。
ですが「徳」とは➡ 知識・技術・お金などを他者に分け与えることがヒーローでカッコいい(立派)という教えを、アメリカでは教育されています。
道に乗れ、徳を持ったらばら撒いて使えという両方の合わせ技が本来の道徳なのに、日本は偏ってしまっている。その点を意識して、徳でお金を持っている人がおぐったりしている人がステキだという教育もして行かないと、日本経済が回っていかない。言うなれば日本は道徳の道だけしか教育されないと、日本人はお金を使うようにはならないのである。その結果、老後お金を貯めこんであの世に行ってしまうのである。
学校の道徳が時間ではなく「道徳の教科(授業)」になった
昭和30年頃から学校では「道徳の時間」があり、人間の生き方に正解はなく、他の教科の様に評価されず教科にはなりませんでした。しかし2018年度から道徳が教科になり成績が付くようになりました。従来なら「こういう考え方やこういう考えもある」とかで皆で議論し、多様な価値観を理解・深めていく時間でした。
だが現在では、他の教科と同じく「道徳の教育に正しい答えがある」のです。この道徳が教科になったきっかけは、「いじめをなくす」という意味で、優しい心や相手を思いやる心を培い、いじめをしない子供を育てようという所からなのです。
例えば、小学校2年生で教わる「礼儀」
- 先生に、「お早うございます」と挨拶しながらお辞儀をする
- 先生に、「お早うございます」と挨拶を言った後、お辞儀をする
- 先生に、お辞儀をした後「お早うございます」と挨拶をする
「お早うございます」と挨拶しながらお辞儀をする・・・が殆どだと思います。また、相手を見てその状況に応じて挨拶の仕方を変えるという人もいるでしょう。
「お早うございます」と挨拶を言った後お辞儀をする・・・というのが答えになるという。
これは日本古代からの礼儀作法として語先後礼(先に言葉~次にお辞儀)があり正しい答えではあります。冠婚葬祭の正しい儀礼でも同じ作法であり将来身に付くことではある。
だが、こんなことを続けて行ったらストレスが溜まってしまうとい問題。また小学校5年生になると忖度から先生の前で模範生徒を装う事で、周りからいじめに走る危険性も出てくるかもしれません。
イジメを無くす目的なのに、更にいじめが発生してきては何の意味もありませんよね。こんなことから、挨拶の仕方には相手や状況で変わる場合もあるのだから、「色々な方法がある」といった教育方法が望ましいのではないでしょうか。現在、小学校の先生方は悩んでいると思いますが、学校の教育におかしい事があってはならないはずです。皆さんでそのおかしい事を未然に防ぐことも、これからの課題となってきますね。