ヤブ医者の語源や由来は諸説あるが、
あやしい呪術で治療することから「ひどい医者」
「腕の悪い医者」とかといった意味で使っていますよね。
でも学校の先生や政治家などは、
ヤブ先生とかヤブ政治家とは聞いたことがありません。
では医者に限ってこのヤブ医者という意味は
何なのかをまとめてみました。
ひどい医者の事をヤブ医者と呼ぶ意味と由来、その語源とは
色々諸説はあるのだが、
ヤブ医者の語源は地名から来ています。
兵庫県の養父市(やぶし)からヤブ医者が生まれ
その養父市にヤブ医者のモデルが居たとされています。
養父市は兵庫県の北部に位置し、
新神戸駅から車で2時間、人口約24,000人で
およそ84%が山林というこの街にヤブ医者が実在していた。
江戸時代中期に長島的庵という医者が元々のモデルであり、
そのお墓は龍蔵寺に祀ってある。
実は、ヤブ医者の意味はひどい医者ではなく
「名医」を指す言葉で、現在のひどい医者とは真逆の意味だったのです。
当時は勿論のこと医療技術は発達しておらず、
一度病気にかかるとなかなか治らないといった症状の
病人ばかりでした。
しかし他の医者がさじを投げた病人でさえも、
長島的庵という医者はなんでも治してしまうという名医として名をはせていた。
しばらくして
「養父市にはスゴく腕のいい医者がいる」と言う評判が
江戸まで伝わり、五代将軍徳川綱吉の耳にも入った。
直に養父市の村医者から将軍家の専門医に出世し、
次第に長島的庵のことを養父の医者を養父医者と呼ぶようになり、
その時点までは名医を指す言葉だった。
その後は、医学を学ぶ多くの弟子たちが
養父市の医者長島的庵の所に集まり
弟子たちも立派に育ち養父医者ブランドの評判も高まっていた。
しかし長島的庵の名が知れ渡ることにより養父の医者になりすまし、
病人をだます偽医者が続出してしまいました。
これにより、養父医者ブランドの評判が急落し、
養父医者という名前が現在の
「ヤブ医者=ひどい医者」に
なってしまったというわけなのです。