刺身はもちろんのこと和食は大抵「箸」を使って食べるのが基本ですが、刺身を手で食べるなんてマナー違反です。
しかし具材は同じなのに、日本人は寿司だけなぜ手づかみで食べる風習が有るのでしょうか。
寿司を手づかみで食べる風習はいつから
それは江戸時代から始まったことです。江戸時代の寿司は、現在の寿司の大きさの5倍くらい大きかったと言われています。どう考えても5倍も大きい寿司はおにぎり感覚のようで、箸で食べるのは到底無理。
この事から寿司を手づかみで食べる理由は、もともと寿司が大きく食べづらく、現在でもこの手づかみで食べる風習が残り「寿司は手づかみで食べてもよい」とされています。
実際大きい寿司を食べてみると、ご飯感覚が強くおにぎりを食べているかのようで、寿司を持った手も疲れてしまいます。
江戸時代の寿司はなぜおにぎりの様に大きかったか
江戸時代の寿司屋さんは、現在のように店舗ではなく「屋台営業」でした。当時の江戸は全国から労働者が集まり、現在で言う建設ラッシュで昼休みもまともにとれないほど忙しかったそうです。
その為、昼食もおにぎり感覚で一気に3~4個とパクついており、そのスタイルがとても受けたことから一個の寿司が大きくなったと言われています。
寿司の色に違いがある理由
また現在の寿司と江戸時代の寿司とでは「もう1つ違い」があるのをご存知ですか。それは、シャリと言われているご飯の色です。
現在の寿司は酢飯で握られており真っ白でとても美味しい色をしていますが、江戸時代には酒粕からできた粕酢というものを使っており寿司飯の色は薄茶色していました。
現在の寿司はなぜこんなに小さくなったのか
江戸時代に大きかったおにぎり感覚の寿司。ではなぜ江戸時代に比べ、現在の寿司は小さくなったのでしょうか。
大きい寿司も徐々に人気が出てきて、女性や子供たちも食べるようになってきました。その場合大きくてどうしても食べづらいと言うことから、大きい寿司を半分に切って食べやすいようにしました。
その事から現在回転寿司など1皿に2貫出てくるのは、こういった名残や由来があったからなのです。
イカの足をゲソと呼ぶようになった理由
外国のニュージーランドにも寿司屋さんが発展しており、マグロやサーモンも有るのですが、日本のようにイカやタコの寿司は食べないそうです。
欧米ではタコの事を「デビルフィッシュ」といい、タコやイカは気持ち悪いと言うことで食べる習慣がない国が沢山あります。しかし外国人が日本に来て寿司メニューにイカやゲソ、タコが載っていると不思議に思われます。それは「タコ」「イカ」に続き、イカの足を「ゲソ」という意味が分かりずらいといいます。
日本ではイカの足は寿司メニューにも載っているように「ゲソ」と呼びます。一方でタコの足も食べますが別名は付いていません。ではなぜイカの足だけ「ゲソ」と言うのでしょうか。
実は、ゲソは漢字で「下足」と書き、ゲソは「げそく」の略。下足の意味は、現在で言う「下駄箱」昔で言う「下足箱」で下足と同じ意味なのです。
下足の「下」は上下の下ではなく「脱ぎ捨てる」という意味。
下足の「足」は「履物」を意味しており、ゲソ=脱ぎ捨てた履物 のことなのです。
ゲソは昔の寿司屋さんの賄い飯だった!?
イカの足は胴体から外して調理するのが普通です。今も昔も「イカの胴体」は、さばいて寿司や刺身として料理として使われます。
イカの足は今でこそ普通に食べていますが、昔は「イカの足=ゲソ」の部分は硬くて美味しくないとして基本ほとんど捨てており、呼び名も付いていませんでした。
そしてこのイカの足を寿司職人の「まかない」としても食べており、それをたまたま来店していた客の希望により試食した結果高評価となり、イカの足を寿司メニューとして出すようになったのです。
元々「イカ」は胴体の部分を指す呼び名であり、イカの足と区別するために、捨てられたイカの足が脱ぎ捨てられた履物に似ていたという事から「下足(ゲソ)」という名前が誕生したのです。