日本では凧揚げと言えばお正月に凧揚げをして遊ぶ競技にもなっています。
しかし、日本人はそれを当たり前のように名前は知っていても実際海外観光客や外国留学生に「そのたこってどういう意味なの?」と質問されると答えられない日本人が多いようです。
「海に泳いでいるタコが上がったものだ・・・」くらいしか答えられないのではないでしょうか。
確かに日本人はお正月に公園とかで上げたり、5月5日端午の節句に凧揚げの祭りがあったりして凧揚げを自由に行っていますよね。
そんなに凧に似ていないのになぜ凧揚げという名前なのか。
また凧揚げはあって、なぜイカ揚げという名前はないのか、その意味や凧揚げの由来をまとめてみました。
凧揚げの名前の由来、元々はイカから始まった事実、その由来や意味
今で言う凧揚げという名前は5~6世紀頃中国で生まれたという由来があります。
その当時の凧揚げは現在のような遊び目的の凧揚げではなくて、
戦に使われたと言われています。
遠くにいた味方に見えるよう高く上げた凧揚げを見て、
「攻めるぞ~!!」という合図を送る目的で使われていたそうです。
当時の中国で使われていた凧揚げのたこは、
敵に合図ということを悟られないように鳥に似せて鳶の形をしていました。(写真参照)
その関係からその名前を紙で作った鳶 = 紙鳶(しえん)と呼んでいました。
しかし、初めは戦に使用されていた紙鳶は、
やがて中国の貴族の遊び道具として定着していきました。
平安時代になると、中国から日本に伝えられ日本の貴族の間で流行し始めました。
その後江戸時代にはその凧揚げの元形である紙鳶は庶民にも拡散され一大ブームとなっていったのです。
紙鳶が、いかのぼりと呼ばれるようになった由来とは
浮世絵を見てみると、どの紙鳶にも二本の脚が付いており、その脚が重りの役割を果たしています。それによって、回転せずにより長い時間凧揚げの原型の紙鳶を飛ばすことが出来るようになったのです。
この四角形に長い2本の脚が付いている形がどうも「イカに似ている」という事から庶民の間で、いかのぼりと呼ばれるようになったわけなのです。
なぜ「いかのぼり」から凧揚げの「たこのぼり」に変わったのか
凧揚げの「いかのぼり」から「たこのぼり」に変わった由来は、江戸時代初期にありました。「いかのぼり」一大ブームの真っただ中、いかのぼりが上空で接触した事が原因で喧嘩が多発。さらに落下した「いかのぼり」で怪我人や時には死者が出るなどトラブルが続出したのです。しまいには大名行列に「いかのぼり」が落ちて大事件にまで発展し当時の社会問題にもなってしまいました。
この事件から幕府まで動き出し、江戸幕府はついに1646年に「いかのぼり禁止令」を出したのです。しかし、それでも庶民のいかのぼりは冷めず、禁止令を無視してまで楽しんでいたといいます。
凧揚げの「たこのぼり」に変わった歴史的瞬間とは
江戸庶民がいかのぼりを楽しんでいたが、注意をされた一部庶民が御上に対し
「足が2本のイカではなく、8本の脚をつけたタコのぼりなら禁止ではない!」と
幕府に対し一部の庶民が考えた屁理屈の言葉で反発。
その後、1656年にはさらに「たこのぼり禁止令」を出したのですがそれでも一部の庶民は無視続け、いつの間にか
たこのぼりを揚げる ➡ 「たこ揚げ」
という名前に変わっていったのです。
いくらいかのぼりをたこのぼりと名前を変えたとしても、同じ行為をしているのだから処罰できたはずですが、そこが時代なのでしょうか。
その江戸時代の庶民の「たこのぼり」の熱中さがあったからこそ、現代の凧揚げという名前が残ったのですね。