葬儀の時、霊柩車で自宅から火葬場に、又は葬祭会館から火葬場に向かう場合があります。
しかし、よく行きと帰りの道が違うことがあります。これってわざと遠回りをしているのでしょうか。
それとも同じ道を通らない何か深い意味があるのでしょうか。
今回はそんな霊柩車が行きと帰りの道を分け、同じ道を何故通らないのかをまとめてみました。
霊柩車は逃げる!?行きと帰り同じ道を通らない
霊柩車は葬儀終了後、火葬場に出発します。しかし火葬場への道は、実は行きと帰り、同じ道は通らないのです。
この同じ道を通らないということは、出棺時、火葬場まで向かった道順と、
そこから帰る時の道順を別のルートにしてしまうことによって、
故人を道に迷わせて帰ってこれないようにする…、ということを意味しています。
まだ土葬が許可されていた時代は、車は使用しませんでした。
「野辺送り」といい、墓所まで先導から順に葬列を組み、棺を担ぎ埋葬。
そのあと、死霊が追いかけてきても道を変えればわからなくなるだろうと、行きと帰りで道を変えていました。
その名残から、現代では霊柩車もなるべく同じ道を通って帰らないようにと方法を変えてきたのです。
ただ道路事情その道しかない場合は、道路の一部(100~200m)変えることで同じ道を走っていないと定義づけすることもあります。
また時間が押してる(次の出棺場所まで時間がギリギリ)場合は、次の所でUターン掛ければいいわけです。
霊柩車の運転手はそんな昔の野辺送りを理解しながら実は逃げるように走っているのです(笑)
霊柩車、追いかけられる前にやっておくこと
ここからは、死霊に追いかけられる前に、リアルに「故人を迷わせる代表的な方法」をいくつか紹介します。
先ず、先程の「野辺送り」ですが、土葬をする直前に、掘った穴の前で
柩を水平にグルグル回し、方向感覚を狂わせるということを行っていました。
現代では霊柩車に柩を収める前に(3回くらい)回してから出棺する方法と、お墓に納骨する前、
寺本堂の外で6回ほど皆で回るという方法など、その地域ならではの風習が今でも残されています。
他にも、出棺の際に霊柩車の長いクラクションが鳴したと同時に、
係の女性が「ガシャ~ン!」と故人の茶碗を割る方法があります。故人の魂がこの世に戻れないようにするためです。
「帰ってきても食べるもの(茶碗)はありません!だから帰って来てはいけません」という意味です。
次は、いわゆる釘打ちの儀と呼ばれる習慣は、今でも所々行っています。
ただ、火葬場の関係上、釘を打つ真似事だったり、打っても2本までとか規制はあります。
大切な家族が納められた柩に釘を打つのは残酷のような気がします。
しかしこれにはいくつかの理由があるのです。
- 死を「穢れ」として考える習慣があり、この穢れた存在がこの世に戻ってこないようにとの意味を込め、柩に釘を打ち蓋が開かないようにした・・・というのが釘打ちの儀の始まりです。
- 昔は今と違い、お棺の作りもしっかりしていないため、上蓋がしっかり閉まらないという問題があったということです。
- 語呂合わせですが、釘を打つことによりいつまでも引きずらない。故人への未練に区切りをつける~くぎり~くぎということで、釘を打つ。
山盛りの一膳飯に故人の使用していた箸を突き立てる方法。この箸の立て方にも違いがあり、
- 1本だけ立てる。
- 2本立てる。
- 1本を立てもう1本は水平に置く。
といったその地方ならではの形があります。
このように、故人を早く成仏させてあげたいという昔からの人間の知恵は様々です。
また残された家族も故人を早く忘れて上げる事も成仏の一つだといいます。
これからの時代益々小規模化し、さらに野辺送りの名残が一つもなく簡素化されると思います。
この昔からの葬儀の伝統は、次の世代へと誰かが引き継いでいかないといけません。
そのことをしっかりと伝授し、先祖の霊の供養と共に忘れないように過ごしていきたいものですね。
少しでも参考になれば幸いです。