いつのまにか変わったな!と街を歩いているとふと思うものが沢山あります。
常識では考えられない変わった物が昔は有ったり、いつのまにか形が変わってしまったものなど今と昔とでは大違い。
特に昔の自動車・鉄道・飛行機の常識が、今ではこんなに便利に変わったものが数え切れないほどあります。
今回はそんな昔の常識が、今ではこんなにも変わった様々なものを紹介したいと思います。
いつのまにか変わった歩行者信号!今では常識なあるものとは
歩行者信号がいつのまにか変わったことにあなたは気づいていましたか。新しく変わったものとは
- LEDに変わって、明るくて長持ちになった
- 背景が赤青の部分が黒く変わった
- 歩行者イラストが太って見やすいように変わった
LEDの人の部分を見やすくする為にイラストの人の部分だけをスマートから太らせて見やすくしたことが変わった部分なのです。更にLEDにしたことで「消えているのに赤青の部分が光って見えていた疑似点灯が減った」ことが大きなメリットになっています。
いつのまにか変わった横断歩道!交通に常識なものとは
横断歩道のデザインがいつのまにかシンプルなものに変わったことは皆さんもお分かりかと思います。1992年11月から法律が改正された時に横断歩道の縦の線がなくなったのです。縦の線があるおかげで、進行方向に対し部妙な段差が生じ「雨の日のスリップをなくすため」に縦線が無い横断歩道に変わったとされています。未だ残っている所は徐々に新しいものに変えていくようです。
いつのまにか変わったトンネル内の照明!今では常識なものとは
今でもトンネル内の照明はオレンジ色が残っている所もありますが、いつのまにかスッキリとした白色のものに変わっています。昔は自動車の排気ガスによって「行く先が見えない」という現象が起きていました。これには、オレンジ色の照明は波長が長い為先まで照らすことができ、霧や排気ガスなどで見えなくなっていた時に効果があったのです。しかし近年は自動車の性能が上がり、排気ガスがトンネル内に溜まらなくなったので1992年頃から白色の物に変わったとされています。
鉄道のこれが常識で当たり前!いつのまにか変わった意外なもの
鉄道にはいつのまにか変わったものが沢山あります。一昔前まではこれが常識で当たり前だったものが、今の20代若者には全くわからないといいます。いつのまにか変わった驚くべきものとはいったい何なのでしょう。
ホームや車輌の中でタバコが吸えたあり得ない常識
2003年に健康増進法が施行されてから駅のホームは禁煙が常識となりました。しかし1990年代前半までは時間や場所に関係なく自由にタバコが吸えたのです。駅のホームでも2009年頃までは喫煙コーナーがあり、国鉄時代一部の通勤列車以外は車両の中でタバコを吸えるのは当たり前だったのです。30代以上の方なら記憶があると思いますが、窓の下や座席ポケット部分に灰皿がありましたよね。また禁煙車が一般的になったのは1980年代前半の頃からで、嫌煙権訴訟がきっかけで請求棄却となりましたが、徐々に列車の禁煙・分煙が進んだといわれています。当時は禁煙車の方が少なく15両編成車輌のうち2~3両だけが禁煙車という形が主流でした。これによりいつのまにか全車両禁煙に変わったのです。
食堂車連結は常識!?ある物がきっかけでいつのまにか廃止に変わった
2000年頃まで新幹線や長距離特急列車には食堂車が連結させていました。列車内で調理をして出来立ての温かい食事を食べられるとあって、とても人気があった食堂車。しかし列車のスピードアップにより乗車時間が短くなった事やコンビニなどの台頭により食堂利用客が激減。これにより特急や新幹線では常識とされていた食堂車はいつのまにか姿を消していったのです。
栓抜きがあるのは常識だったビンの時代
瓶の飲み物が多かった昔は、電車の窓ぎわ下に「栓抜き」が備えられているのが常識でした。しかし1970年代から缶入りの飲み物が普及したため、いつのまにか見られなくなってきました。
いつのまにか消えて行った伝言板は学生のオトモ
また多くの駅に有ったのが伝言板です。学生時代にいつも使っていたという方も多いのではないでしょうか。駅で待ち合わせをしていて相手が来ない場合は「〇〇さん先に行ってるよ!」などと自由にメッセージが書き込めるようになっていました。しかし1990年代半ばから携帯電話が普及し始め急速に姿を消していきました。常識とされていた便利なものでしたが、今ではラインに変わった時代の進歩でしょうね。
いつのまにか変わった自動改札と切符切り
自動改札が始まったのは1970年代前半からで、関西の私鉄を中心に広まっていきました。自動改札は大阪が初めに誕生し、東京の自動改札が普及したのは20年の開きがあるとされています。関東圏は国鉄が主流で自動改札にすると切符切りが不要になり職員を減らさなければいけないという事で国鉄労働組合が反対していました。そのせいか国鉄からJR(民間)に変わった1987年4月に分割民営化を境に首都圏では20年後の1990年代に広まったとされています。
切符切りも自動改札に変わったことによりその姿を消しましたが、そのもの自体が昔何に使われていたかなど今の20代の人にはわかりません。常識的にこの物を切符切りだと答えられるのは40代以上の人だけです。若い世代の人は、ペンチとかニッパー、昔の洗濯バサミ、缶を開ける物、小顔の器具などと変わった解釈する人も多いようです。昔は改札口で駅員が一人一人切符に穴を開けているのが常識でした。近年では新幹線など車掌が乗車切符の確認で車輌を回って穴を開けていることぐらいでしょうか。昔の切符は今の切符に比べ硬く分厚かったのです。
日本国有鉄道(国鉄)から民間へ変わった
JNR(Japanese National Railways)から JR(Japan Railways)に変わったのです。これによりJRもJR東日本やJR西日本、JR東海といくつにも分かれました。このことからJR労働組合の考え方も変わったことにより、JRになってから首都圏で自動改札という便利なものへ普及していきました。
いつのまにか変わった海外旅行
海外旅行といったら飛行機を使った行くのが常識な今の時代ですが、昔は旅行で自由に行けなかった時もあったのです。勿論1ドル=360円という時代でしたから、海外旅行利用者はお金持ちが多かったようです。実は、そもそも自由に海外旅行に行くことが禁じられていた時代があったのです。海外旅行の歴史として
1963年業務渡航の承認(仕事で海外に行くのだったら認めるが観光目的では認められない)
1964年観光渡航の承認(外貨💲500迄の持出で1年に1人1回だったら観光旅行に行っても良いとされた)
そのため羽田空港では海外旅行に出かける時は男性はスーツで、女性は和服姿であり、一族が全員で見送りに行くほどの一大イベントだったようです。この当時JTBハワイ9日間の旅364,000円(現在水準約400万円)だったと言われています。今の常識では考えられないですよね!
1966年海外旅行の回数制限の撤廃
1978年外貨持出が無制限に
これ以降、いつのまにか海外旅行も自由に出かけられるように変わったということです。
いつのまにか安く気軽に行けるように変わったのか
海外旅行に行く時、海外の航空会社に比べ日本の航空会社の運賃が高いと思ったことありませんか。空港には飛行機が着陸するたびに航空会社がお金を支払う「着陸料」という制度があり、当然ながらその着陸料は航空券代に反映されています。この着陸料は空港によってバラつきがあり、着陸料の安い空港を選べばその分運賃を安く出来るというものです。主な空港の着陸料は国際線1回につき
- 羽田空港594,000円
- 成田空港338,000円
- ニューヨーク(JFK)334,000円
- ソウル(仁川)187,000円
- パリ(シャルル・ド・ゴール)145,000円
- フランクフルト86,000円
- シドニー0円
着陸料の安い国では補助金や別の施設利用料などで補填されているものもあります。こういった点から着陸料の高さが、日本の航空会社の運賃を高くしている理由の一つになっています。
なぜこんなにも着陸料を高くする必要があるのか
日本には空港が97あり、単純計算で一つの都道府県に2つ以上の空港がある計算です。これだけ沢山の空港があるわけは、北海道のように土地面積が広かったり、沖縄のように離島が多いためと言われています。本来であれば利用客が多いから空港を作るといった目的なのですが、利用客がおらず日本の空港ではほとんどが赤字になっています。そのためか、その赤字空港の埋め合わせとして利用客の多い羽田・成田空港で赤字空港の穴埋めをしているというわけなのです。
着陸料が安い地方空港に変わった理由
一方で日本国内の地方空港は利用者が少なく着陸料が安い空港が沢山あります。ここにいつのまにか目を付けたのがLCC格安航空会社です。中国から飛んでくる飛行機は、成田空港より30%着陸料の安い茨城空港を選び、茨城空港から都心まで観光バスで運ぶ・・・といった方式のものに変わったのです。これにより航空運賃を安く抑えるのです。
自動車にもいつのまにか変わったことが起きていた!
自動車の速度警告音、いつのまにか変わった理由とは
昔は高速道路を走ってスピードを出していると、速度警告音が鳴っていました。普通車なら105㎞/h 軽自動車では85㎞/hを越えると「キンコン♪キンコン♪・・・」という警告音が鳴ったのです。しかし最近の自動車にはもう付いておらず、気づいたらいつのまにか無くなっていました。これは、スピードを出し過ぎないよう義務付けられていたのですが、1986年3月に廃止されました。その理由には日本から海外へ輸出するために余計なコストがかかるとアメリカから圧力がかかり廃止に至ったといわれています。また日本もこの「キンコン♪キンコン♪・・・」という単調な音により運転中眠気を誘うため返って危険であるという理由からいつのまにか無音に変わったという事です。
高速道路での大型バイク2人乗りも変わった理由
現在では高速道路での大型バイクの2人乗りは解禁されていますが、当時2005年3月までは禁止でした。しかしアメリカでは日本に大型のバイクを販売したいが「日本の2人乗り規制ではバイクが売れない」ということからアメリカからの圧力がかかって解禁されたという経緯がありました。また日本では大型バイク2人乗りは高速道路では安全であるということから2005年4月から解禁、法令制度が変わったとされています。
アメリカの圧力で大型バイクの免許制度も変わった
昔は大型バイクの免許を取るのは非常に困難で試験場の技能試験に合格しないと取得出来ませんでした。しかし難しいバイクの免許では取得しずらくバイクが売れない・・・といったアメリカ側の圧力があった為、いつのまにか教習場で教えられるようになりました。