藤澤五月選手と言えば、平昌五輪カーリング女子日本代表選手。話題沸騰中の藤澤五月選手は北海道北見市出身。北見市はお年寄りから子供までがカーリングを楽しむ町で有名な町となりました。この街から平昌五輪の代表選手が生まれたのです。
藤澤五月選手は、この北見市のチーム「LS北見」のスキップを務める。時折可愛い表情と真剣な眼差しの両方を平昌五輪では見せ付けられました。
スキップというチームの立場からその性格は幼いころからの家庭環境にも影響しているのでしょうか。「結婚はいい人がいればしたい!」という結婚願望も強く、とても気になるところです。
2歳違いの姉・藤澤汐里さんも可愛い顔立ちとスレンダーな体格には驚かされます。そんな気になるカーリング一族での生活環境などを紹介してみようと思います。
藤澤五月の性格は姉譲り?可愛い顔立ちで結婚願望もちらほら。平昌五輪での活躍は・・・
可愛い藤澤五月選手の経歴は、結婚願望の助長?
藤澤五月選手は平昌五輪でもスキップを務め、4番目に投げるフォースという大黒柱の存在です。スキップとは戦略を立て他の選手に指示を出す司令塔で、藤澤五月選手の最大の武器は超攻撃なショット。今や世界から恐れられています。
そんな藤澤五月選手は、両親、兄、姉も含めて一家全員がカーリング選手なのです。幼いころからカーリング場が遊び場だったというから驚き。
ハウス(円)の中に、石がたくさん入るように遊びの中にでも練習をしていたのでしょうね。高校卒業後は長野の中部電力に入社し、故郷を離れ黄金時代をも築いてきたといいます。
他方で、大事な場面で力を発揮する事が出来ず、メンタルの弱さも指摘されてきました。それにより、2013年の日本代表決定戦でも大本命と言われながらもソチ五輪を逃してしまいます。
チームを引っ張っていく力がないと、自分を責め、敗戦の責任を全て背負っていたのが印象的でしたね。
可愛い藤澤五月選手の性格は、カーリング選手権大会にも見え隠れしていた。
スキップというポジションは弱みを見せてはいけない。頼られるポジションである。
可愛い藤澤五月選手の名言でもありますが、一時は自信を失いかけてカーリングの世界から離れようとしていた時期もありました。
その後、藤澤五月選手は、LS北見の本橋選手に声を掛けられ北見市に帰り、幼い頃の笑顔に戻ったようです。メンタルトレーニングを取り入れたりすることにより、自分の弱みも見せられるようにもなりました。
それにより2016年には世界選手権日本初の銀メダルを獲得し、最終的に2017年平昌五輪日本代表決定戦で、栄光の切符を手に入れたという経歴の持ち主でした。
頼られる自分の仲間によって、弱い自分の性格を方向転換したことは、平昌五輪試合中のあの可愛い笑顔になっていたのですね。
韓国との対戦では、韓国のネット上で「女優のパク・ボヨンに似ている」と可愛い笑顔が脚光を浴びたのには、日本人としては名誉でもあります。
また、可愛い藤澤五月選手が復帰した時のもう一つの言葉には、性格から絶対にあきらめないという強い意志が見えてきます。
世の中に失敗はない。チャレンジしているうちは失敗はない。諦めた時が失敗である。
これは、2018年名言にランキングされるのではないでしょうか?今から楽しみです。
可愛い藤澤五月選手の結婚感は、平昌五輪の名言からも見いだせる。
可愛い顔立ちの藤澤五月選手は現在、㈱コンサルトジャパンという保険代理店に勤務していますが、
「結婚はいい人がいればしたい・・・」
と照れながら話していました。
26歳にもなれば結婚を意識するようにもなる御年。
自分を求めてくれる人がいることが嬉しかった
と仲間の気持ちを言葉にした文言から読み取っても、結婚願望も旺盛でありますね~。
でもそう言う人に限って五輪が終了したら結婚発表なんてよく聞きますよね?可愛い藤澤五月選手においては、果たして結婚発表はあるのでしょうか。五輪終了まで心配です。
藤澤五月選手の姉も可愛いくて、スレンダーのカーリング選手です。
藤澤五月選手の姉は、名前は藤澤汐里さんといいます。
年齢は藤澤五月さんの2歳年上。
姉の汐里さんも、幼少時代からカーリング競技を行っていました。高校3年生のカーリングジュニア選手権大会に出場中、ケガを負ったといいます。
その時ケアを受けていたトレーナーが女性理学療法士だったため、姉の汐里さんは心と躰をケアできる理学療法士の資格を取得。病院勤務を経て現在はジャイロキネシスインストラクターとして活躍しています。
顔立ちは、藤澤五月さんと浅田真央さんを足した可愛い感じで、スレンダーで素敵な印象ですよ。
藤澤五月選手の性格や、お姉さんの可愛いスレンダーさが影響し、カーリングはこれからもどんどん話題になっていくことでしょう。
平昌五輪でのさらなる活躍を期待しています。